祖父の葬儀に、不思議な蝶々がやってきた話【ささや怪談】
本当の事を言おう。 わたしは、怪談も幽霊もまったく信じていない。
わたしがまだ、無邪気だったころ。
ある日の夕方。
父に、ドライブに連れて行ってもらった。
どこに行ったのかはもう覚えていない。
ただ、あまり会話がなかったことだけは、忘れていない。
それはよく覚えている。
当時の父は、肉体労働に就いていた。
そういった職種もあってか、神仏も心霊もまったく信じていなかった。
そんな父が、ドライブの時に、こんな話をしてくれた。
たった一度だけ。
わたしは、祖父に会ったことがない。
生まれる前に、亡くなっていたからだ。
季節は冬。
強い吹雪が続いた日々だったという。
葬儀の日。
始まってすぐに、どこからともなく一羽の蝶が現れて、棺の上に停まった。
どのような蝶だったかは、わからない。
何色の羽だったかは、定かではない。
その蝶は、棺から羽ばたこうとせず、凍り付いたかのように佇んでいた。
父たちが、祖父に近づき、泣きながら別れを告げてもなお、彫刻のようにそこにいた。
香が焚かれ、老若男女の嗚咽が漏れる中でも。
葬儀の参列者たちは、蝶を追い払おうとはしなかった。
いや、出来なかった。
「あれは祖父の化身だ」と、口々に囁き合ったからである。
何もせず、そのままにしておこうと。
蝶は、焼香の半ばには、どこかへ消えていた。
みながそれとなく棺を注視していたが、いつのまにか姿を消していたという。
外は、殴りつけるような大吹雪。
「あれは親父の生まれ変わりだったかもな」
父は、そのようなことを話した。
一足す一は二のように。
それからも、父には何度も尋ねてはみたものの、「そんな話は覚えていない」の一点張りだった。
だから、どうしてこの話をしてくれたのかは、想像するしかない。
どうだっていいことである。
この話は恐くなければ、幽霊も出てこない。
不思議なことは何もない。
ある種の蝶は、肉食性なのだという。
だから、その蝶は、祖父の亡骸の匂いに釣られて、ふらふらと「来店」したに過ぎない。
それだけ。
ある時、沖縄と青森の友人にこの話をしたところ、「葬式で蝶々は、よくある」という返答があった。
だから、この話は、ありふれた日常に過ぎない。
どこにも、怪談らしき要素はない。
しかし、わたしは、もう少しだけ想像を押し進めてみよう。
無邪気だった頃のわたしが、父の話を切り捨てられなかったが為に。
祖父は、蝶になったわけではない。
ただ、わたしと父が、「もしかすると...」と、不思議に思ったその時。
二人の背中をそっと押し、耳元で声にならない囁きを繰り返し、
わたしにこのような形式で葬式と蝶のことを書かせ、焚きつけているもの。
ときどき、「自分のことを思い出してくれ」と言いたげな、それ。
それこそが。
わたしの祖父である。
こうした想像を許しておくだけの余地を、わたしはまだ潰せずにいる。
