京大がある「百万遍」、地名の由来は700年前の大疫病
[ちちんぷいぷい - 毎日放送] 2015年3月6日放送で、京都の地名「百万遍(ひゃくまんべん)」の由来について取り上げていました。
京都の地名「百万遍(ひゃくまんべん)」。東大路通と今出川通が交差するあたりにあり、京都大学があることでも知られています。
この「百万遍」という地名の由来は何なのか、気になるところですよね。
その舞台となるのは、百万遍交差点からすぐのところにある「大本山 百万遍 知恩寺」です。知恩寺は、法然上人の弟子・源智上人が師の恩徳をしのび、"恩を知る寺"として建立した寺です。
百万遍の由来は1331年にさかのぼります。京都の町で大きな地震が起こり、その際に疫病が流行り、たくさんの方が亡くなりました。鴨川の河原に病死された方の遺体の山ができるほどで、ひどい惨状だったそうです。
疫病を鎮めるために念仏を百万回唱えたことに由来
そこで後醍醐天皇より、京都中の寺社に対して「祈祷をし疫病を鎮めよ」と命が下りました。
知恩寺の8代目住職だった空円上人が、命令に従って7日7晩念仏を唱え続けたところ、疫病が鎮まったという話が残っているのです。
感心された後醍醐天皇は空円上人に、「何をされたのですか?」とたずねます。空円上人は「7日7晩、お念仏をとなえ続けました」と答えました。そしてさらに後醍醐天皇は、「何回念仏を唱えましたか?」とたずねると、「7日間で百万回(遍)のお念仏をおとなえしました」と答えました。
ではこれからは百万遍と名乗りなさいと「百万遍」という称号を天皇から賜ったそうです。そこで、百万遍知恩寺の周辺を百万遍と呼ぶようになったそうなのです。
疫病が鎮まったことを機に、念仏を唱えながら大念珠を繰る「百万遍念珠繰り」が、寺の恒例行事となっています。毎月15日には、一般の参拝者といっしょに写経絵とともに大念珠繰りの法要を行い、無病息災などをお願いしています。(ライター:ツカダ)