どうしてそうなった...二・二六事件の慰霊像、今や「女子高生に人気の告白スポット」らしい
1936年、「昭和維新」を唱える青年将校らが政府要人を殺害した「二・二六事件」。
その慰霊像が東京・渋谷にあるのだが、なんとそこが「女子高生の間で人気の『告白スポット』」になっているのだという。
NHKのすぐ裏に立つ観音像
「ピロリン♪」
道行く人が、観音像に向けてスマホのシャッターを切った。
2015年2月26日、昼。前日までの暖かさが嘘のように、東京は再び冬の寒さに見舞われていた。ただ79年前の「二・二六」とは違い、降るのは雪ではなく、冷たい雨である。
スーツ姿の通行人は、なおも2、3枚の写真をカメラに収めると、そのまま像の前を去っていく。
渋谷駅から徒歩10分余り、NHK放送センターの道路挟んですぐ裏、渋谷公会堂のほど近くに、「二・二六事件慰霊像」はある。
ここはかつて、東京陸軍刑務所の敷地だった土地であり、青年将校たちが処刑された場所だ。1965年、死者の御霊を弔うため、遺族などによって観音像が建てられた。
像の前には、数は多くないが真新しい花、日本酒や菓子などが供えられ、雨に濡れていた。別の場所で法要が執り行われているためか、慰霊像の前に関係者らしき人の姿はない。しばらく眺めていたが、ほとんどの人は無関心のまま通り過ぎ、たまに足を止める人も、無造作にレンズを向けるぐらいで、やはりさっさとその前から離れていった。
雨のせいもあってか、辺りには沈鬱な空気が漂う。そもそも渋谷とはいっても、この辺まで来ればセンター街もとうに終わり、若者の姿もそう多くない。このあたりでは、夜になると「軍人の幽霊が出る」という噂も一時期あったそうだ。
将校たちが恋を応援してくれる!?
そんな二・二六事件慰霊像が、若者たちの間で恋愛にご利益のある「パワースポット」になっているという。
2010年に刊行された『島田秀平と行く!全国パワースポットガイド 決定版!!』(講談社)には、「渋谷の有名告白スポット」として、写真付きでこの慰霊像が取り上げられている。引用しよう。
「......この慰霊碑の前で告白やプロポーズをするとうまくいくと女子高生の間で人気なんです。
当時、若くして処刑されてしまった青年将校の霊が今の若者を応援してくれているという説と、2.26=(夫婦ロック)という語呂合わせからきているという説があります」
ちょっとにわかには信じがたい話だが、調べてみるとシブヤ経済新聞の2003年の記事に、若者の間で広まる噂としてこの話が収められている。 ただしそのご利益の理由の部分、特に「夫婦ロック」はこの時点では紹介されていない。少し無理のある語呂だけに、こちらは後から付けられた可能性が高そうだ。
だとすれば、なぜ「二・二六事件」の慰霊像が告白スポットになってしまったのか。上記の著書で島田さんが、冗談めかして書いている部分が案外真相に近い気がする。
「渋谷駅からけっこう遠いので、そこまでついて来てくれる時点でかなり脈ありかと思いますが」
当人たちはどう感じているのだろう
「汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ 混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く」
青年将校たちが愛唱した、「昭和維新の歌」の一番だ。「巫山の雲~」というのは中国古典に由来するフレーズで、男女が情愛を交わすことを意味する。乱暴に意訳すれば、
「世の中は間違っとるし、男女はイチャイチャして風紀を乱すし、今こそ我らが立ち上がるとき!」
ぐらいのニュアンスか。
そんな青年将校らが、まさかその「巫山の雲」を乱れ飛ばすリア充たちの守り神になろうとは、当人たちも想像だにしなかっただろう。あの世で「けしからん」とお怒りか、あるいは苦笑しているか......。
立ち去ろうとしたとき、1人の若い男性が、自転車で像の前に乗りつけた。傘などは差していない。脱帽すると、雨を浴びながら二拝二拍手一拝して、再びサドルにまたがり、あっという間にその場を後にしていった。
2015年の東京の風景である。