仙台人なら知らない人はない「土井晩翠」、でも何した人なの?
[OH!バンデス - ミヤギテレビ] 2015年2月10日放送の「宮城ナニコレ!? おとなの社会科見学」のコーナーで、仙台出身の偉人・土井晩翠の足跡を紹介していました。

その知られざる功績とは?
明治4年 北鍛冶町(現在の青葉区木町通)で生まれ、立町小学校を卒業し、旧制第二高等学校(現在の東北大学)教授になった人物。通りやバス停の名前にもなっており、仙台城址に胸像と詩碑が建立されている先陣と言えば......そう、「土井晩翠」先生です。
土井晩翠(どいばんすい)という名前は聞いたことのある人が多いはずですが、どんなことをした人なのかは...私も知りませんでした。仙台に住む者としてこれではいかん!というわけで、復習です。
本名は「土井林吉(つちいりんきち)」といい、詩人で英文学者。最も有名なのは「荒城の月」を作詞したということでしょう。昭和25年には文化勲章も受章しています。「晩翠」という名前は、中国の詩人・范質の詩句「遅遅たる澗畔の松 鬱鬱として晩翠を含む」に由来しているのだそうです。
青葉通沿いには、晩翠が晩年を過ごした旧邸跡である「晩翠草堂」が残っており、実際に見学することができます。こちらは、昭和20年の仙台空襲で焼失してしまった建物を、昭和24年に市民の有志によって再建された建物で、晩翠が仙台人にいかに愛されているかが伝わってきますね。晩翠草堂の中には、当時の写真や書が展示されており、その足跡を垣間見ることができます。
私たちの知るイメージでは「詩人」という印象の強い晩翠ですが、ナポレオンや野口英世の伝記を書く伝記作家の一面や、東北をはじめとした約300校の校歌を作詞した功績も。母校である立町小学校には、彼が作詞した校歌を集めた資料室があり、歌詞や楽譜・カセットテープなどが展示されています。中にはブラジルにあった日本人学校の校歌も!
「晩翠通」の名前や「荒城の月」の作詞者として親しみのある土井晩翠ですが、これほどの校歌を作詞した功績があったとは知りませんでした。(ライター:Makikinha)