「西京高校」「西京銀行」がなぜ山口県に存在するのか
なぜ山口が西京と呼ばれるのか?
東京→TOKYO、中京→名古屋はほとんどの日本人が受け入れている言い方だが、西京→山口となると、抵抗感のある人もいることだろう。
しかしながら山口は、室町時代の領主大内氏が京都を模した町づくりを行った。大内氏が国際貿易の要所を握っていたこともあり、「西の京」と呼ばれるほどの繁栄を誇った。市内には八坂神社や清水寺もある。
約600年前から八坂神社で行われている山口祇園祭。その有名なエピソードといえば、京都で一度廃れた伝統舞踊「鷺舞」だ。山口と津和野に継承され、昭和30年代、京都に逆輸入されて復活したという。
全国京都会議に加盟する自治体は、京都市を含め全国に49あり、そのうち京都市より西に位置するのは24市町だ。その中で山口(の一部)が「西京」を名乗るのには、それなりの実績があってのことに違いない。

大内氏の山口支配は戦国時代末期に終焉を迎え、江戸時代に入ると行政の中心地ではなくなる。
次々と周辺の町村を合併したおかげで、現在の山口市の面積は福岡市の3倍、東京23区の1.64倍もある。それでも県庁所在地としての人口は鳥取市や甲府市(山梨県)と最下位を争い、20万人に満たない。
