「帷子ノ辻」の地名に込められた、美貌の皇后の死
[ちちんぷいぷい - 毎日放送] 2014年11月28日放送で「帷子ノ辻」について取り上げていました。
京都にある難読地名、「帷子ノ辻」。
あまり馴染みのない漢字ですが、何と読むかおわかりでしょうか?
これは「かたびらのつじ」と呼ぶのです。
場所は京都市の西側、観光名所である嵐山よりも少し東側にあります。
帷子ノ辻にはかつて大映の京都撮影所があり、現在も「大映通り商店街」が残っています。
大映通り商店街にある、とあるスーパーの前には、昭和40年代に大映京都撮影所で制作されていた大魔神の像が再び制作され、町のシンボルとして置かれています。
そして住宅街のど真ん中には、蛇塚古墳という大きな石の古墳があります。
石室内にたくさんの蛇がいたことからこの名が付いた蛇塚古墳は、京都府最大の横穴式石室で、渡来系一族の墓とされているそうです。
はるか平安時代にさかのぼる「帷子ノ辻」の由来
そして気になる「帷子ノ辻」の地名の由来。
平安時代の初めにいた嵯峨天皇の皇后である檀林(だんりん)皇后は素晴らしい美貌の持ち主で、嵯峨野に日本最初の禅院である檀林寺を創建しました。
彼女が亡くなった時に棺にかけられていたのが、絹や麻糸で織った着物(帷子)でした、お葬式の際にこのあたりを通った時に、三条通と交わる辻(交差点)で帷子が風に舞ってはらりと落ちたことから、このあたりが帷子ノ辻と呼ばれるようになったそうです。
(※編注:ちなみに、その後皇后の亡骸は遺言で野原に放置されました。朽ち果てていく姿を人々に見せることで、信仰を呼びかけようとしたのだとか......)
皇后の帷子がぐうぜん落ちた場所にちなんで地名がつけられるとは、なんともドラマチックですね。(ライター:ツカダ)