サザエさんも、黒田官兵衛も福岡のモノ!?
東京生まれの人に「サザエさん通りはどこにありますか?」と尋ねれば、10人中10人が「世田谷区の桜新町商店街のことでしょ。作者の長谷川町子さんが亡くなるまで住んでいた場所だし、長谷川町子美術館もあるんだから」と答えることだろう。
しかし、福岡市早良区にもサザエさん通りがある。西新から百道浜地区を結ぶ約1.6キロの市道がそれで、2012年に誕生した。道中には「サザエさん発案の地記念碑」まで立っている。
いったいなぜ? 実は長谷川町子さんは、戦時中~戦争直後福岡に疎開していた。当時海岸だったこの場所で登場人物を考案したという。サザエさんも初期は福岡を舞台としており、連載も地元紙で行われていた。なるほど、縁は十分にある......といえばある。
2014年3月26日、このサザエさん通りをさらにPRするべく、ここで看板除幕式が開催される。高さ3.8メートル・幅4.6メートルという大きさで、原作をモチーフにした看板としては全国初という触れ込みだ。除幕式には長谷川町子美術館館長が来賓として出席する。「まち全体がサザエさん一家」――そんな町を目指すと、地元は大張り切りだ。
黒田官兵衛は事実上の藩祖
多くの人が「サザエさん=東京」というイメージを持ち、先行して「サザエさん通り」もすでにある中、競合を恐れずに参入する――福岡のいい意味でのバイタリティ豊かさを感じさせる。
これに似てるのが、大河ドラマでおなじみの黒田官兵衛だ。
官兵衛といえば兵庫出身ということで、地元ではさまざまな形でPRに励んでいる。ところが官兵衛が晩年を過ごした福岡市でも、特設ページを作るなど「官兵衛ブーム」にあやかろうと動いている。
福岡市のウェブサイトでも、「福岡藩祖」は黒田官兵衛孝高(よしたか)となっている。黒田家が大名になったのは官兵衛の代からなのは確かだが、1600年、徳川家康から筑前国を拝領したときにはすでに官兵衛は隠居しており、普通は長政が「初代藩主」として扱われている。
福岡への関わりの深さからすると初代藩主の功績こそ当地で称えられてもよさそうだが、市の観光ページはあくまで官兵衛推し。
地域振興ではしばしば「オンリーワン」の大切さが強調されるが、あえて強敵がいるジャンルに積極的に挑んでいく福岡市の姿勢は、もっと評価されてもいいのかもしれない。