「見送るはずだった新幹線に、母だけ乗って行っちゃった。幼い妹と2人、ホームに取り残されて...」(大阪府・50代女性)
「大丈夫!お母さんは必ずここに戻ってくるから」
T田さんがまだ小さい頃、九州から遊びに来ていた彼女の従弟を見送るため、母親と妹と3人で新大阪駅まで行ったときのことだ。
従弟の荷物が多かったため、母親が手伝って、新幹線の中まで運ぶことに。その間、T田さん姉妹はホームで待っていた。
「停車時間が何分だったのか覚えてないですが、座席近くまで荷物をもっていく母の姿を目で追っていたその時です。ホームに新幹線の発車のベルが鳴り響きました。
その音に小さいながらも危機感を持った私達姉妹は、まだ新幹線内にいる母にホームから『お母ちゃん!お母ちゃん!』と叫んでいました。
母も母で急いで私たちの所に戻ろうとして扉まで来たのですが、あと少しというところで無情にも閉まってしまい、私と妹は母が扉の向こうで必死に開けようとする姿を泣きながら見ていました」(T田さん)
「そこでじっと待っとき!」と叫ぶ声がかすかに聞こえたのを最後に、母親はそのまま新幹線で九州方面へ。ホームに取り残された姉妹は泣きじゃくって立ちすくんでいたという。
その時。ホームにいた駅員が、T田さんたちに声をかけた。
「(駅員さんが)『どうしたの?誰と来たの?』と声を掛けてくれました。
私たちが子供のつたない言葉で一生懸命、泣きながら駅員さんに『母が今の新幹線に乗って降りてこれなかった』と話しました。
すると、その駅員さんは『大丈夫!お母さんは少ししたら必ずここに戻ってくるから、それまでジュース飲んでお部屋で待ってよう』と優しく言ってくれました」(T田さん)
けれど、幼かったT田さん姉妹はその場を離れることを拒んだ。母に「待っとき!」と言われていたし、その場から離れてしまうと母親にもう会えないかも知れないという恐怖があったからだ。
この時点ですでに夜の8時過ぎ。幼い妹は泣きながらT田さんに寄りかかり、ウトウトしていたそうだ。
「ホームの椅子に座り妹を抱きかかえながら『ここで待つ』と頑なに動くのを拒んだ私。岡山で折り返した母が戻ってきたのは2時間以上後の事でした。
時間も10時を過ぎ、いつもなら寝ている時間にやっと母に会えた時の安堵感」
幼い姉妹にとって、この2時間はどれほど不安だったことだろう。
T田さんは、そんな時に手を差し伸べてくれた駅員に「ありがとう」を伝えたいという。
「あの時に優しく寄り添ってくれた駅員さんに心から感謝いたします」(T田さん)
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな、あの時自分を助けてくれた・親切にしてくれた人に伝えたい「ありがとう」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。
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