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待ち合わせの定番「ハチ公像」は、三重県津市にもあった

松葉 純一

松葉 純一

2017.07.20 06:00
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「ハチ公前」と聞けば、ほとんどの人が東京・渋谷駅を思い浮かべるだろう。ちょっと待っていただきたい。「ハチ公前」は渋谷駅だけとはかぎらない。

ハチ公の生地、秋田県大館市にも「ハチ公」像があると聞く。なるほどハチは秋田犬だ。秋田犬の産地・大館に「ハチ公」像があっても、けっして不思議ではない。だが、それだけではない。

実は、三重県津市にも「ハチ公」像がある。

「えっ、ハチ公が三重県にあるの? なぜ?」と疑問を持たれた方は、このまま読み続けていただきたい。

ハチが渋谷駅で待ち続けたのは......?

「上野英三郎博士とハチ公」の銅像(画像提供:津市久居総合支所地域振興課)
「上野英三郎博士とハチ公」の銅像(画像提供:津市久居総合支所地域振興課)

ハチ公像がなぜ三重県にあるのか? Jタウンネット編集部は現地に電話して、話を聞いてみることにした。

まず最初に話を聞いたのは、津市在住の多田滋郎さん、「上野英三郎博士とハチ公の銅像を建てる会」代表だ。

「ハチが渋谷駅で待ち続けた飼い主、それは上野英三郎博士です。上野博士は、ここ津市の久居の出身で、久居元町の法専寺にはお墓もあります。旧制津中学に進み、東京帝国大学農科大学教授を務め、日本の農業土木・農業工学の創始者と言われています」。

犬好きの博士はハチを可愛がった。朝は大学に出かける博士を渋谷駅まで送り、夕方には渋谷駅で博士を迎えるのが、ハチの日課。ところが1925年、上野博士は大学で突然倒れ、亡くなってしまう。しかしハチは、渋谷駅に通い続けた。これが人々の感動を呼び、渋谷駅に「ハチ公」像が生まれることになる。

津市の銅像は近鉄久居(ひさい)駅東口にある。渋谷駅の「ハチ」は単独だが、こちらは上野博士と一緒に、博士を見上げるように立っている。銅像の高さは、土台を含め約3メートルだ。この銅像ができたのは、2012年10月のこと。「上野英三郎博士とハチ公の銅像を建てる会」が全国から集めた寄付金で、建立された。多田さんは同会の代表である。

「上野博士とハチの(一緒にいる)銅像は東京大学にもあるのですが、津市の銅像はその2年前に立ったんですよ」と多田さんはやや誇らしげに語る。東京帝国大学農科大学の後継にあたる東京大学農学部の銅像は、2015年、ハチ公没後80年記念に建てられた。津市の銅像の2年後だ。

「上野博士のことをもっと多くの人々に知ってもらいたい」と、多田さんは力説する。銅像が建って約5年、今もさまざまな活動を続けている。

観光散策ガイドのスタート地点は、「ハチ公前」

紙芝居「農学博士上野英三郎の水田づくり」より(画像提供:久居城下案内人の会)
紙芝居「農学博士上野英三郎の水田づくり」より(画像提供:久居城下案内人の会)

次に話を聞いたのは、森下隆史さんだ。「久居城下案内人の会」代表で、ボランティアガイドとして活動している。津市の久居総合支所地域振興課をとおして、観光ガイドを依頼されると、2時間半から3時間ほど地域を案内しているという。

「旅行者との待ち合わせ、そしてスタート地点は、久居駅前のハチの銅像前と決めています。コースをぐるっと回って、戻って来て、解散するのもハチの前です」と森下さんは語る。「ハチ公前」は大事な待ち合わせポイント、三重県津市でも常識のようだ。

「残念ながら、上野英三郎博士のことは地元でもあまり知られていませんでした」と森下さん。「そこで『はちこう』と『農学博士上野英三郎の水田づくり』という紙芝居を作り、機会があれば上演しています」。

紙芝居「農学博士上野英三郎の水田づくり」より(画像提供:久居城下案内人の会)
紙芝居「農学博士上野英三郎の水田づくり」より(画像提供:久居城下案内人の会)

「久居城下案内人の会」は、地域や市などからの依頼を受けてガイド活動を行っている。「久居城下案内人の会」にガイドを依頼したい人、紙芝居を見たい人は、津市の久居総合支所地域振興課に問い合わせるとよいだろう。

紙芝居「農学博士上野英三郎の水田づくり」より(画像提供:久居城下案内人の会)
紙芝居「農学博士上野英三郎の水田づくり」より(画像提供:久居城下案内人の会)

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