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82歳筆者が考える、言葉を「省略」したがる日本人...「バスタ」新宿のネーミングに思う

ぶらいおん

ぶらいおん

2016.06.21 11:00
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良きにつけ悪しきにつけ、変わるのが言葉の本質

   過日「バスタ? 最初はちょっと驚いたけど、まあ、日本にはいろんな名前があるから。『新宿はうんざり』って意味じゃないとは分かったけどね。かえって面白いよ、変で」。日本滞在歴24年。日本で発行されるスペイン語の日刊紙「インターナショナルプレス」の編集長、ルイス・アルバレスさんの反応だ。』

   こんな記事を毎日新聞の「話題」→ワイド特集で見つけた。

   実は、かねがね日本人の「言葉の省略好き」を漠然と考えたりしていた。それで、このテーマについて、当コラム担当編集者にも相談して、書いてみようかな?と思い立ったのだが、いざ書こうとしてみると、どう書いて良いのやら見当がつかない。今は羅針盤の無いまま出航してしまった船のような想いだ。

   言うまでも無く、「言葉」というものは時代により否応なく変化して行くものであることは承知している。それでも、矢張り率直に言って、筆者は余りにも急激な変化は好きでは無い。それは矢張り歳の所為であろうか?硬直した脳や思考の影響は否定出来まい。

   しかし、そう言いながら、実は自分でも結構常用しているのだ。「きもい、うざい、ダサい、やばい、ちくる、...」などは知ってはいても、使いたくないので、先ず使うことは無い。それに対し、「パソコン、スマホ、コンビニ、スーパー、ファミマ、ミスド、マクド、百均、ホコ天、...」などは会話で普通に使っている。会話だけでは無いかも知れない、後者は文章中でも利用している。

   何故か?会話中では、特に余り長たらしく、発音しにくい言葉は、それで無くても舌が回りづらくなる高齢者も矢張り、余り使いたくないし、そこには丁度心地良いリズムのようなもの、つまり普通の日本人で、普通の日本語を使うような人にとって、どこか適切と感じるようなテンポがあるのであろう。

   インターネット上で検索してみると、こんな記事が目についた。

『「さようなら」という別れの挨拶語も元は接続詞で、別れの意味を含まず、当然、その後に続くはずの「これで失礼します」という別れの挨拶語が省略されているのです。
   日本語には後に続く肝心なことばを省略してしまう癖があります。たとえば関西の商店で買い物をすると、店の人から「おおきに」と感謝されます。この「おおきに」は副詞で、「ありがとう」につけて強調して「おおきにありがとう」ということばになるはずだったのに、いつの間にか「ありがとう」という肝心のことばが省略され、「おおきに」だけになりました。
   日常の挨拶語も同じです。「こんにちは」や「こんばんは」も、元々「今日は、よいお日柄で」とか「今晩は、よき穏やかな晩です」という、後に続くはずの挨拶語が略されているのです。
   外来語でも何でも日本人はすぐに省略して遣います。「コンビニエンス・ストア」は「コンビニ」、「パーソナルコンピュータ」は「パソコン」か「PC」、木村拓哉さんは「キムタク」です。数え上げたらきりがありません。長いフレーズでも3字か4字に省略されてしまうのです。』出典:大森亮尚 (古代民族研究所代表)。

   こんな意見もあった。

『セイン(アメリカ出身。クリエイター集団「エートゥーゼット」の代表。):日本人は略語を作るとき、なるべく4文字になるようにしているみたいですね。英語で「4-letter word」というと、立派な人が口にするべきではないスラングのことを言いますが、どうして日本人は4文字が好きなんでしょう?
長尾(公益社団法人国際日本語普及協会):4文字というより4拍と言った方が正確だと思いますが、必ずしも日本人は4拍ばかりにこだわっているわけではないと思いますよ。傾向としては、5拍以上の言葉は2~4拍の略語にするようです。例えば「アルバイト」は5拍なので「バイト」と3拍に、「アイスクリーム」は同じく3拍の「アイス」になるわけです。一方、警察用語の「犯人」は「ホシ」と2拍、「刑事」も「デカ」で2拍です。』

   他にも、日本人は言葉を4拍にするのが、好きなのだ。という記述もあったが、筆者も別に4拍には限らない、と考える。要は、2、3、4拍いずれでもよく、これ以上長く無くならないで、調子さえ良ければ...、つまるところ「新宿バスターミナル」は「バスタ新宿」、それでよい訳だ。

   こう考えて来ると、上述の、言葉の後半を省略して「あからさまに表現しない」という日本人の好みと、主として外来語などを2-4拍に省略したがるのは、ちょっとニュアンスが違うように思う。

   たとえば、前者の省略表現は、日本人が考えれば、或る程度推測、理解出来るが、後者の省略は「或る程度の時間に亘り交わされる長い会話」の中からなら、推測出来る場合もあるだろうが、その言葉の省略方法を把握しない限り、つまりその言葉の省略手続きを全く知らずに突然突きつけられると、全く理解出来ない場合だって当然ある筈だ。

   だから、主として若者の世界だけで使われて、年配者に馴染みの無い言葉は、どうしても最初は抵抗感があって、容易には一般に受け入れ難いことになるのであろう。マスコミなどに取り上げられるようになって、初めて徐々に浸透し始める。多分、この種の言葉などに筆者などは余り好印象を持たないのでは無いか?と推論する。

   「昔はこんなでは無かった。もっとちゃんとした秩序があったのに...。なんと嘆かわしいことだ!」というようなセリフは、そのセリフを発した高齢者自身も若者で、自分たちが新しい世の中の原動力だ、と信じ込んでいた年頃には、当時の高齢者から恐らく同じような言葉を突きつけられていたに違いない。

   だから、そんなことも一切考えず、毎日の躍動する生活の中で、後から後から湧き出してくるイキは良いが、時として頭をかしげざるを得ないような省略語を矢鱈に生み出し、撒き散らしている青春真っ盛りの諸君も、いずれは歳を取り、老いれば、また同じセリフを後続の若者たちに向かって発するようになることは、先ず間違い無い。

   そんな風に「言葉」というものは、生き物だし、時々刻々と変化し、良きにつけ悪しきにつけ変容して行くのが、その本質なのであろう。あらゆるものが現れては、また、その殆ど全てが消え去って行く運命にある以上、「バスタ新宿」も何となく調子よく誕生し、いずれ何処かに消失して行くかも知れない言葉の一つなのだろう。それ故、ここでいきりたって「賛成!」、または「スペイン語やイタリア語本来の意味からして"絶対に"可笑しい!」と大声を上げて反対してみても始まるまい。

   考えてみると、日本人の一人である年輩の筆者も当然有するこうした感覚が、良くも悪くもまた、一般に日本人特有の「いい加減」さ、あるいは「曖昧」さにも通ずる寛容さをもたらし、こうした、ちょっと変な省略外国語(?)でも堂々とまかり通るお国柄となっているのに違いない。

   (因みに、この「いい加減」という表現はなかなか奥が深い。風呂加減や味加減については、良い意味で使われるし、逆に否定的な"ダメ"あるいは"不可"に通じる望ましくない状況をも意味する。これについては、機会があれば、また何処かで書いてみたい。)

   そんなわけで、「えっ?!」と一瞬訝しく、眉をひそめたくなったとしても、一方で、口に出し易く、調子よく使えるなら、その省略語も日本人らしさの一つの象徴だから、余りめくじら立てずに、筆者もこっそり、そしておずおずと使ってみることにするかな...。

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筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)

東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になって、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、今は地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、西方浄土に日々臨む後期高齢者、現在100歳を超える母を介護中。https://twitter.com/buraijoh