愛娘に胸張って、明和町のおいしい梨を食べさせたい!

群馬県邑楽郡 明和町の梨栽培
群馬県の南東部に位置する明和町は、明治初期から梨の栽培が始まったという歴史ある産地です。
収穫期ともなると農家の直売所が県道に軒を連ね、「梨街道」としてにぎわいをみせますが、直接販売が基本なので、市場流通を経ての小売店には滅多に出回りません。
近隣地域からの根強い人気が支えであり、それがおいしさを裏付けているともいえます。

しかし梨生産者の平均年齢は70代となり、最盛期には100軒あった農家も今では30軒ほどにまで減少。ここでも、高齢化が進み後継者不足という現実が浮き彫りになってきました。
そこで、町や県、農業普及所、地元JAなどが協力して立ち上げたのが「明和町ナシ産地構造改革協議会」。町内外から梨農家への志ある人材を募集する取り組みを開始したところに手を挙げたのが、東さんでした。
農家としてのスタート
もともとはサラリーマンの東さん。旅行業界の記者として活動していく中、観光で街づくりをしている方々を取材します。町を盛り上げるために何をすべきか。本当に楽しそうに考えを巡らせ、実行して行く彼らの様子に心奪われていきました。
「自分が地に足をつけて街づくりをしていくにはどんな職業が良いか」自分で作って加工や販売までできるということ、延いては街づくりまで繋がっていくのは......。
辿りついたのが農家、という選択でした。

明和町での出会いが梨農家への道を形に
10か月の間、千葉県の農家に住み込みで野菜づくりを学び、次は果樹の勉強をと考えていたところ明和町の募集を知ります。1年間の修行を決意し明和町に向かった東さんは、「その方がいなければここで就農していない」というほど大切な出会いに恵まれます。
それが、3人の指導員のうちのひとり。公私に渡り面倒をみてくれて、梨農家としての道のりを後押ししてくれました。さらに、地域の先輩方も心強い味方です。
駆け出しだからこそ、疑問に思うことはそのままにしません。自ら実践する、熱い志を持った農家が明和に誕生したのです。
愛娘に胸張って、おいしい梨を食べさせたい
窒素、リン酸、カリウム。これさえ与えれば、農作物は育つ。一般的には通説となっていますが、東さんはここに疑問をもちます。「人間は、1日何十種類もの栄養をとらねば生きていけないのに、なぜ農作物はそれで済むのか。」
梨の樹は1年間に20回ほど防除剤を必要とするのも、樹に栄養が不足しているのではないか。元気がなかいからこそ害虫に襲われやすいのではないか、という考えにいたります。
そこで東さんはその疑問に挑戦したのです。ミネラルたっぷりの何十種類もの栄養を梨に与えてみます。すると防除剤の回数も半分以下の9回に減少。
相対して梨の樹が強くなったからこそでしょう。圧倒的に味わいもよくなり糖度も増してきたのです。取り組みを開始する前後の味わいを知る方は「何をしたの!?」と、驚くほど。

薬に頼らず、かつ栄養状態を常に確認するため、日々の管理は、大変な手間ではあります。
それを支えたのは子どもの存在でした。農薬を多く使用した梨を、娘に食べさせたいか。
就農した年に子どもが生まれ、どうやったら減農薬で作ることができるかを考え始め、実行してきたからこそ行き着いた栽培方法でした。
地域活性化を目指し「梨人(nashin chu)」を立ち上げ
東さんは梨づくりのプロとして、そして明和町そのものを盛り上げるべく、若手の梨農家や後継者を集め「梨人」という団体を設立しました。今では、明和産の梨を地元や近隣のイベントに参加しPR活動を実施しています。

町づくりも素晴らしい人と人との出会いがあってこそ。その輪を強固により広げて行くべく、ゆくゆくは自ら実践する栽培方法を広め、「明和の梨は甘くておいしくて減農薬」というブランド化を目指しています。
東さん達は、樹と樹を活着して園全体の樹を繋げ、生産効率を高める新技術「樹体ジョイント仕立て」を群馬県でいち早く導入しました。3年後には20種類近い品種の収穫を予定しています。

新しい栽培方法や品種を取り入れることは、並大抵の努力ではできないことです。熱意のある生産者がつくる、特別な梨は、市場にはめったに出回りません。
ぜひ明和町に赴き、味わってみてください。

今回の筆者:うまいもんドットコム
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