みんなで歌おう!都民必唱「町田はわが領土」
中核市でも特例市でもなんでもないのだが、東京都町田市は23区外で1、2を争うほど賑わう都市だ。三浦しをんさんの小説「まほろ駅前多田便利軒」に出てくる「まほろ市」は、町田市がモデルで、神奈川へ張り出した東京都南西部最大の街ということになっている。
新宿が起点の小田急本線に乗る。多摩川を渡ったら神奈川県川崎市――と思ったら、いつのまにかまた都内にいることに気づく。東京の突出地、それが町田だ。
現在は東京都に属しているけれども、明治の一時期、神奈川県に含まれていたこともある。実際、一部の神奈川県民は「町田を神奈川に再編入すべし」という説を唱える。
神=神奈川が何と言おうと町田は東京
これに対しツイッターユーザーの@blue_commentさんが、「町田はわが領土」という歌詞を創作してネット上で発表した。ご存じのとおり、「独島はわが領土」のパロディだ。
「町田はわが領土」できてしまいました・・・・・・ pic.twitter.com/eAfbjqx9Kh
— あおこめ(1/24町田で読書会) (@blue_comment) 2015, 1月 19
1・2番の歌詞は町田の位置と気象条件を示したもので、3番は名物、4番は歴史、5番は神奈川県に対する物言い。地元住民以外にとって3番以降はピンとこないかもしれないが、町田の特徴がうまく詰め込まれている。
東京のベッドタウンでありながら農業とその加工業もまだ残っている町田。歌詞の「醤油」と「牛乳」がそれを示している。また1970年代から少年サッカーが盛んで、1989年にはプロサッカークラブ「FC町田ゼルビア」が創設された。古代から人が定着していて遺跡も数多く残っている。
玉川大や和光大、桜美林大といった大学や、文化施設だと市立国際版画美術館がそれぞれあり、文化拠点としての顔も持つ。
4番の歌詞にある「絹の道」。別名「神奈川往還」ともいい、国際貿易港の横浜と生糸の集積地・八王子を結ぶ道を指す。当時の輸出産業に組み込まれた町田は大きく発展し、同時に政治運動も盛んになる。教科書で誰もが習う「自由民権運動」の発祥の地となった。
東京・埼玉・千葉・静岡が戦慄「大神奈川の野望」
町田は他都市に吸収される存在ではなく、むしろ多摩川と相模川に挟まれた地域の中心都市として発展してきた――そんな地元民の誇りが垣間見える。
これに対して神奈川県民も別の替え歌で応酬する。大神奈川の地図は、鎌倉から千葉へ渡って関東を治め、平家を滅ぼして武士政権を打ち立てた、鎌倉幕府の再来を狙っていると見えなくもない。
神奈川は一つ pic.twitter.com/7tgTmUqYdu
— ふくうち (@hukuuchi) 2015, 1月 19
ここで大神奈川を見てみましょう
町田・熱海じゃ生温い pic.twitter.com/N1fgQEQtVr
— ルイセンコ學派落チ零レ學徒 (@Patriarch_Aqila) 2015, 1月 19
練馬や茨城の替え歌も
替え歌の別バージョンとして、「練馬大根のマズルカ」なるものも存在する。埼玉県に隣接する練馬区民が危機意識をもって作った歌詞のようだが、どちらかというと池袋(豊島区)の方が合っているような――。
練馬大根のマズルカ
練馬は未だ滅んではいない。
我らの命が続く限り。
どんな埼玉の勢力が強奪しようとも、
我らはこの手のサーベルで奪い返す。
進め、進め、練馬大根。
西大泉から小竹町へ。
指揮に我らは従い、
そして皆が団結するだろう。
— Хаями Расэндзин (@RASENJIN) 2015, 1月 19
ついでに紹介したいのが「支配せよイバラキスタン」。......言語的に見ると、東京に同化できない何かがあるので、奴隷になる心配はないと思うのだが。
支配せよイバラキスタン
この世の始まりに 神の命を受け
太平洋プレートより興った わがイバラキスタン
これぞわが証し 我が地の証
水戸黄門はかく歌えり!
支配せよ、イバラキスタン
イバラキスタンは関東を制す
イバラキスタン人は決して 決して 決して
東京の奴隷にはならない!
— こんぱすろーず (@flowerclass) 2015, 1月 19