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「日光猿軍団」人々涙した最後のステージ

Jタウンネット編集部

Jタウンネット編集部

2014.02.18 18:05
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関東エリアで放送されているNHKの報道番組「特報首都圏」。2014年1月17日に放送されたのは、世界でも珍しいお猿のテーマパークの最後をカメラが見つめた「校長先生とおサルの生徒 さようなら日光猿軍団」だった。

その最後のステージは、ツイッターでも「1人でめっちゃ泣いた」「涙腺崩壊寸前」と評判を呼んだ。

土産物屋からお猿の校長に

間中敏雄さんは、猿の調教から舞台の校長役、劇場の運営まで、1人3役を長い間担ってきた。ことの始まりは夫婦で土産物屋を営んでいた28年前にさかのぼる。テレビで見た猿回しに興味をもち、挑戦を決めた。間中さんに調教の経験はなく、子猿たちと家族同様に暮らすことからスタートした。

やがて近くの観光施設で猿回しを始め、1992年に劇場をオープンさせた。最盛期には年間100万人が来場、テレビにCM、全国公演と休む間もないほどの大ブームとなり、韓国や台湾にも劇場を構えるほどになった。妻の清子さんは次のように当時を語る。

「本当に夢中でやってきたので。ある日、走りを止めて後ろを振り返ったら、すごく大きくなっていた」
日光猿軍団 猿劇場(ブログ「Travel with D5100」より)
日光猿軍団 猿劇場(ブログ「Travel with D5100」より)

日光猿軍団所属の猿は27匹。構成年齢は3歳から30歳までと幅広く、最高齢は人間でいえば90歳のお年寄りに相当する。

猿のお風呂は週に1度。驚かないようぬるめのお湯を使い、毛の奥まで汚れがとれるよう丁寧に素手で洗う。舞台の衣装は清子さんの手作りで、猿の体形に合わせて型紙から起こして作っている。そこに校長の敏雄さんが名前を書き入れる。

「俺がお父さんでうちの女房がお母さん。ときには(猿の)ボスになって。家族の一員だべね、やっぱり」
「最初はお猿としてきたんですけど、だんだん自分で手がけていくうちに...人間の子供と一緒? ただ違いは毛があることとしゃべれないこと。その違いくらいだなーと思いました」(清子さん)

お猿のリーダーと向かい合い閉園決断

20年あまり親しまれてきたテーマパークだったが、2011年に発生した福島第一原子力発電所の事故で状況は一変する。猿の世話を任せていた留学生が一斉に帰国してしまった。さらに猿の高齢化が追い打ちをかける。

オープン以来舞台を支えてきたお猿のリーダー「ぜん太」に、敏雄さんは話しかけた。

「ぜん太は座っててもボーッとしてね、疲れてんだ。『ぜん太、おめえやめっか?』って言ったんですよ。そしたら、下向いてこうやって(うなずいた)」

限界を感じ、劇場を閉じることを決断した。

変化を感じた猿たちに動揺が

卒業式が迫るなか、敏雄さんは新しい演目に取り組もうとしていた。猿たちに卒業証書を渡そうというのだ。

このころ、猿たちに思わぬ変化が表れていた。舞台上で指示に従わず、歩き回ったり、甘えたりし始めたのだ。いつも舞台をわかせるお猿「栄太郎」までが、ケンカを始める始末。

「だいぶ荒れてきました。お猿さん、分かるのですかね、終わりっていうのが。寂しいかもしれないんだよね。『このままもう一回やりてえよ』って感じだよね」

卒業式まで1週間を切った日、敏雄さんは1人机に向かい証書を作成していた。1匹1匹あふれる思いを綴って。

筆を休め、向かった先は亡くなった猿たちの墓。敏雄さんは毎日のように通いこう祈っていた。「お前たちのおかけでここまでなったんだ。いよいよ終わるよ、ありがとうって」。

涙の卒業証書

最終日、緊張気味で舞台に向かう敏雄さんと猿軍団の姿があった。ステージでは人気者の栄太郎が最後まで客席をわかせる。卒業証書を渡し終え、最後にこう語りかけた。

「いよいよ卒業だな、みんな。よかったな、つらかったか、疲れたか? もう勉強しなくてもいいし、友達と遊んだり、ケンカだってできなくなるんだぞ。よくケンカしたべー。これからもっともっと先生みんなにさしてやりてえけど。一日二日経っても終わんねえ。本当にありがとう。感謝しても感謝しきれねえ。お前ら、これから卒業したって、先生に任せろ。校長先生とママさんに、一生一緒にいんだから。 校長先生 間中敏雄」

毎月のように劇場に通った女の子から、今度は校長先生の卒業証書を渡された敏雄さん。ほっとした表情で、「これだけ惜しまれてやめられたのは最高に幸せだと思う」とつぶやいた。

実の親子のように

2014年1月、人気のない園内で間中夫婦は猿たちと散歩していた。その光景は幸せな家族そのものだ。

「今まで同様、彼らの一番良い道を考えてやっぺ。山へ行きたいといえば、たまに連れてってやる。今までやってくれたんだから、お返しする番だ。ねぇ」
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