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82歳筆者が考える、オバマ大統領の広島訪問...「日本人」の放ったタイムリーヒットだった

ぶらいおん

ぶらいおん

2016.06.28 17:00
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2016年5月27日、広島を訪問したオバマ大統領
2016年5月27日、広島を訪問したオバマ大統領

オバマ大統領が広島を訪れてから、ほぼ1カ月。アメリカの大統領として初めての訪問は、世界中で大々的に報じられるとともに、また激しい議論も呼んだ。

82歳であるぶらいおんさんは、あの戦争を少年時代に体験している。今回の広島訪問をどう感じたか、思うところを尋ねた。

知らない人に知らしめ、その地に立ったことに意義

   朝日新聞5月14日付掲載(声欄)の「米大統領の広島訪問」をめぐる投稿には、次のようなタイトルの付された意見が掲載されていた。

■大統領が原爆投下に謝罪は当然、■過去への謝罪より未来志向を、■核廃絶の歯車、謝罪で進めて、■謝罪要求は建設的ではない、■謝罪求めぬが正当化もしないで、■日米首脳は戦時の過ちを認めて、◆日米双方に矛盾と葛藤。

   要するに、オバマ大統領の広島訪問について「謝罪すべきか」あるいは「米大統領の広島訪問そのものを評価すべきか」、そしてまた「この事に対する日本人として取るべき態度が、どうあるべきか」などについて様々な意見が述べられていた。

   また、作家・塩野七生さんは別なところで「謝罪を求めず、無言で静かに迎える方が、謝罪を声高に求めるよりも、断じて品位の高さを強く印象づけることになるのです」と発言されている。

   確かに、特に日本人の感性からすれば、その通りで、その考え方は肯定出来る。

   しかし、このような国際的、外交的、政治的、道義的な問題についての意見は非常にデリケートであり、その立場により大きく異なることになるのもまた、無理ないところだ。

   オバマ氏にしてみても、彼個人の感情と米国大統領としての立場とは必ずしも一致するものでは無いだろう。米国を代表する政治家としては「謝罪は当然あり得まい」幾ら核廃絶の実現を切望していても、現実に大量の核兵器を所有している以上、「たとえ、人道に反しようとも、(自国民を守るために)止むを得ぬ場合の核兵器使用は有り得る」という立場であることは間違い無い。

   それでも、核兵器の保有は、直ちにその使用を意味するものでは無く、「核抑止力の保持」だ、という意見を述べる人々も居る。しかし、そう言ってみても、それは所詮詭弁に過ぎぬ。「所有」するということは、レアケースであろうと無かろうと「使用」が前提にあることを否定することは出来ない。

   絶対的な不使用ならば、「保持」は全く意味を成さず、全面廃棄の道しか無い。日常的な言い方をすれば、「持っていないものは使えない」し、「持っていても、絶対に使わない」というのは完全に矛盾しており、それなら、最初から持つ意味は全く無い。

   現代では、そんな現実離れした話は単なる夢物語に過ぎぬ、と大方の人々は曰(のたま)うだろう。残念ながら、現代の人類や国家という得体の知れぬ化け物はその程度の代物だ、と言わざるを得ない。

   してみれば、米国大統領オバマ氏が「広島を訪問して謝罪する」ことなど、最初からあり得ない話である。そういう意味では、「謝罪すべき」だとか「謝罪して欲しかった」と言ってみても始まらない。

   無論、この意見は被爆当事者では無い、(東京や、疎開によって山形や和歌山で戦時中を過ごしたに過ぎない)筆者のものだから、もし、被爆された方や、ご家族が被爆の被害を受けられた方が、そんなことは分かりきっているが、「それでも、戦時中の米国の非人道的行為を国を代表して謝罪して貰いたい」と言われるなら、それに対し、筆者の言葉は全く無い。つまり、それは理屈では無いし、そもそも議論すべき事柄では無いからだ。

   筆者は、小学生時代に経験した戦争の酷さ(理不尽さ)について語るとき、よく言うのだが、戦争の悪は、人間にとって先ず、基本的に「生理的な悪」だ、と述べている。つまり、戦争は国家間の争いなのに、個人、つまり人間にとって「生きる」という本質的な「生理的現象」に反することを強制するものだからだ。一番顕著な悪は、その人の「生命を喪失させること」つまり、(名誉であろうが、無かろうが)「戦死」という生理的破滅、次が「身体を損傷させること」(名誉か、不名誉な)負傷や傷病をもたらす生理的損傷、そして更に筆者も経験した「栄養不足あるいは栄養失調」つまり、食糧の絶対的欠乏に起因する生理的ダメージである。
   こうした「人体が生理的なダメージを蒙る」という戦争体験は、理屈や議論を超越するものである。そう言った意味で、筆者は何処まで行っても、原爆被爆者の立場には立てる訳がない。

   くどいかも知れぬが、筆者は被爆者では無い立場でしか意見を述べることが出来ない。その立ち位置で、塩野さんの言われることも、さもありなん、と思う。また、そこまで言わなくても、単純に米国大統領が広島を訪問し、献花し、資料館を見学し、被爆者と言葉を交わしたという事実そのものに、十分それなりの意義があった、と考える。その意味では、オバマ大統領の決断を評価したい。

   「国家」と「個人」この一筋縄では行かぬ上、合い馴染まぬ関係をずっと考え続け、長年友人達とも議論して来たが、未だに筆者自身が納得出来る「解」は見いだせない。

   オバマ氏も大統領であると同時に、一人の人間でもあるわけだから、自ら広島の地を踏んだことは、彼のあの時の巧みな広島演説にも当然影響を与えていたに違いない。

   そのオバマ大統領の広島訪問27日には、世界各国の120人余りの報道陣が被爆地を駆け回り、原爆ドームを背に生中継し、市民の声を速報した、という。この事実こそが最も重要な事柄だし、成果というなら、それが成果そのものであろう。

   知らない人に知らしめること、これが先ずスタートであり、伝聞だけでは無く、その地に立ってみること、それが理屈を超えた理解を深めることだし、現代のテレビ報道やインターネットを介した情報の伝達が、その地、その現場に立った一人の人間から発せられたものであれば、不完全ながらも、現場から遠く離れた人々にも、なにがしかのリアリティをもって伝わる可能性は高くなる。

   中でも、淡々としたメディアの伝え方が目立った米国のUSAトゥデーのカーク・スピッツァー東京特派員は「投下の是非を判断するのは難しい。大多数の米国人が謝罪を伴わない広島訪問を支持しているが、訪問自体を謝罪だと受け止める見方もある。記事には慎重さが求められる」と語ったそうだし、中国メディアは、日本の被害者としてのイメージが強まる懸念を伝えた、と言う。しかし、この懸念は些かピント外れに思える。被爆者の甚大な被害について、世界中に理解が深まることと、日本軍が中国を初めとする、主としてアジア各地で簡単に拭い去ることの出来ないような大きな被害を与えた、という事実がこれで帳消しになるわけでは無いし、また米国大統領の広島訪問を肯定する日本人の全てが、その帳消しを求めているという訳では無いからだ。

   どちらの国も、大量の非戦闘員を含む相手方の人々に大きな被害を与えた、という歴史的事実そのものが有るわけだから、人類の間でそれに対する記憶と理解が深まることは歓迎すべきことであり、それに対し懸念などは当たらない、と思う。

   また、スペインの有力紙エルパイスのマカレナ・ビダル特派員は「広島訪問が直ちに世界を変えるわけではないが、一滴一滴の水が、いつか瓶を満たす日が来るかもしれない」と期待を寄せた、というが、これこそ米大統領広島訪問の意義そのものであろう。

   そして、更にオバマ大統領が27日に広島市を訪れ、平和記念公園でスピーチなどを終え、車でヘリポートへ向かう途中、沿道で多くの市民が見送っていたという。それを見たオバマ氏が、「広島に来て良かった」などと、米国に向かう大統領専用機「エアフォース・ワン」から、側近に「広島の皆さんが歓迎してくれたことを感謝したい」と外務省へ電話させていたことがわかった、そうだ。

   これこそ、冒頭に記した塩野発言の"日本人の品位の高さを強く印象づける"結果となったのであろう。

   その意味では、原爆死没者慰霊碑の『過ちは繰返しませぬから』という碑文も、日本人の間だけの『誓い』ではなくなり、世界中の人びとの『誓い』に昇華していくことも夢でなくなる(前出:塩野七生さん)方向への日本国、というよりは日本人の放ったタイムリーヒットであった、と言うことが出来よう。

   普通に暮らしていた、多くの非戦闘員である普通の人々が、戦時中とは言え、一瞬の間に焼き尽くされた、というこの非人道的行為を、たとえ敵国の人々とは言え、同じ人類により加えられたという、この恐ろしい事実が消え去ることはあり得ないし、またどんなことがあっても消したり、忘れ去ってはならない。

   それは、誰かを責めたり、加害に対する謝罪を求めたりすることでは無く、非条理な被害を受けて、個々の人生を全うすること無く、理不尽に奪われてしまった、少なからぬ数の人類が二十世紀に存在したという歴史的事実を確認すること自体にこそ意義があり、その上で、こんなことが決して再び起こらぬよう、未来の人類の運命を真剣に考え、努力する以外に我々人類の採るべき道はない、と言い切っても過言では無かろう。

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筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)

東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になって、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、今は地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、西方浄土に日々臨む後期高齢者、現在100歳を超える母を介護中。https://twitter.com/buraijoh
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