仙台、松江、津...。県名と県庁所在地名が異なる理由、実は...

2013年7月 9日 11:57

明治維新期の明治4年7月14日、明治政府が廃藩置県を実施。それに由来して7月14日は廃藩置県の日となっている。

廃藩置県とは、全国に散らばっていた大名領である「藩」という区分けをやめて、中央政権的な統制のために「県」を推進した制度。現在の都道府県制度につながるものだ。

そんな廃藩置県の流れを見ていくと、少々不思議に感じられるのが都道府県と県庁所在地の関係性について。なぜ、宮城県と仙台市、島根県と松江市のように、都道府県名と県庁所在地で異なる名称を持ったものがあるのだろうか?

司馬遼太郎は著書「街道をゆく」の中で、このことを「明治政府がこんにちの都道府県をつくるとき、どの土地が官軍に属し、どの土地が佐幕もしくは日和見であったかということを後世にわかるように烙印を押した。その藩都(県庁所在地)の名称がそのまま県名になっている県が、官軍側である」と記している。

つまり、廃藩置県実施時に、幕府にさからった県は県名と県庁所在地が異なっているということらしい。この説は明治時代のジャーナリスト・宮武外骨による「府藩県制史」という本にも「早い段階から官軍側に付いた『忠勤藩』の藩名は県名にされて、官軍側に付かなかった『朝敵藩』や、官軍側に付くのが遅かった『曖昧藩』の藩名は、一つも県名には残っていない」という記述が残されている。

しかしながら、この宮武外骨という人は、ジャーナリストという肩書ではあるものの、明治から昭和にかけて「滑稽新聞」「頓智協会雑誌」「スコブル」といった雑誌を創刊して、政府に対していやがらせとおちょくりの限りを尽くしたかなり変わった人物であったという。

小川定明、南方熊楠と合わせて、日本三大奇人に数えられることもあり、外骨が唱えた説は、あまり信憑性がないらしい。

Wikipediaによれば「当初は藩をそのまま県に置き換えたため現在の都道府県よりも細かく分かれており、3府302県あった」のだそうだ。それがさまざまな法整備などを経て、1972年(昭和47年)にアメリカから返還された沖縄に沖縄県が置かれることで、現在の47都道府県となったというから、その間、さまざまな紆余曲折を経ただろうことは想像しやすい。

・県名よりも、知名度の高い地名があるから
・県名よりも、交通の便の良い土地があり、そちらを優先したいから
・県名よりも、城跡に近い土地の名前を県庁所在地としたいから

など、県名と、県庁所在地が決まっていく過程には、県それぞれの事情が存在したというのが、県名と県庁所在地が異なることへの回答に一番近いらしい。

県名と県庁所在地名の暗記には、小学生のころに頭を悩まされた経験が誰にでもあるはず。その過程を追ってみると、そこにはさらに複雑な事情があるみたい...。

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