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子どもの歯を抜いたら、不思議なことが起こった話【ささや怪談】

前田雄大

前田雄大

2016.08.27 21:00
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「そんなに怖くないけど......」
   離島に住んでいる友人から、こんな話を聞いた。
   初めに断っておくが、これは実話怪談ではない。

   わたしたちは、錆びついたビュートに乗って、海岸に向かっていた。助手席から眺める空は、どこまでも青く突き抜けていた。運転席でハンドルを握るのは、五郎さん。
   ロッキー・バルボアのTシャツを着た男。
   いつもほがらかで、読書好きの歯科医。
「わりと、最近の事だよ」
   彼は、開業医として、自分の診療所を持つことにした。
「オヤジも医者だったから、元々あった建物を改装して、リニューアル・オープンすることにしたんだよ」
   その際に、設備をきっちりと整備したそうだ。ネジからボルトから、隅々まで。
「ライトって、あるだろ。診察台で使う、馬鹿でかいやつ。そうそう、あの眩しいの」
   診察台のライトは、買ったばかりの新品だったという。 とても頑丈なものだった。

Photo by viviandnguyen_, on Flickr
24.179/365- Holes

   その日、一組の親子が、五郎さんの診療所を訪れた。
「春先だったかな」
   ひとりの少年が、歯の痛みを訴えていた。まだ、五歳ほどだったという。付き添いの母親が、事情を説明する。彼の乳歯は、抜けかかっていていた。その痛みが長引いていて、食事が上手く出来なかったそうだ。
「その子は、ものすごく怖がりだったんだよ。まあ、極端な怖がりと言うのか、察してほしい。なんというか、ほとんど赤ちゃんみたいにパニックを起こしてたんだよ」
   少年は、診察室に入った途端に、大泣きしてしまったのだ。
「そういう子には、麻酔を打ったら、逆にストレスを与えてしまう。注射器を見ただけで、死にそうになるから。だから、サッサと抜去したほうがいい。抜くんだ」
   少年は、何かを察して、猛烈に泣き出した。
「泣き止ませようとかは、思わなかったな。そういうのは、衛生士さんに任せているから。俺はただ、歯を引っこ抜くだけ」
   少年の乳歯は、もう少しで抜けそうだった。
   だが、それに比例して、彼の抵抗はますます激しくなった。あまりにも甲高い泣き声は、動物の悲鳴に近づいていた。彼の声は、いよいよ枯れてきた。
   「いたい!」という喚きが、「ひぎゃい!」「ひゃあい!」と変化した。
   五郎さんも、さすがに焦りを感じていた。
   その頃には、衛生士さんたちが診察台を囲んで、少年を押さえつけていた。
「手早くやらなきゃな、って」
   五郎さんの指が、少年の乳歯を引き抜いた。
   ぷちっ。
   その時。
「ぃぎゃあああっ!」
   大きな悲鳴が轟いてから、診察室は暗闇に包まれた。
   その中を、少年はすたすたと歩いて、明るい待合室へと戻って行った。残された五郎さんたちは、彼の姿を唖然としながら見つめていた。
   母親も。
   診察台のライトと蛍光灯のフィラメントが、焦げ切れていたのだ。
   それっきり、親子には会っていないそうだ。
「ここじゃ、よくある話だよ」
   五郎さんが、ぽつりと言った。彼の横顔には、緊張が浮かんでいた。何かを堪えているか、隠し事をしているように。こんな時の語り手は、信用できない。
   わたしは、外の景色を眺めた。すでに市街地を抜けて、国道に入っている。左右の両サイドには、田畑がどこまでも広がっている。ときおり、御嶽を通り過ぎてゆく。
「それから、親子はどうなったんですか」
「どうなったと思う?」
   彼は、ヘラヘラと笑いながら、質問に質問で返した。
「わかりません」
「だろうな」
   わたしは、大人しく黙っていることにした。彼に、本当のことを言ってもらうやり方もある。だが、そうすれば、わたしたちは二度と会えなくなってしまう。
   ビュートは、海岸に近づいてきた。
   見えてきた海は、どこまでも蒼く、空と水の境界線が薄れていた。
「この近くに、美味い蛸の口を出す店があるんだ。そこにいるよ」
   蛸の口は、この島の近海だけで採れる貴重な魚介類を使った料理だ。それよりも、彼の言葉からは、何かを試すような慎重さが感じられた。
「前ちゃんさ、着いたらあれこれ聞くつもりでしょ?」
   堅く、感情を押し殺した声。
   わたしは、回答を保留する事にした。
「そんなの、もういいから。食事にしよう」
「ああ」
   わたしは、彼との信頼関係を優先した。
   友人は、もう何も話したくないという顔をしている。おそらく、患者の話をしてしまったことを、恥じているのだろう。だが、彼は、そこまで生真面目な男ではない。
   と、すると......。
   庇っているのか。
   わたしの空想を断ち切るように、彼は続けた。 
   冗談とは思えないほど、冷たく尖った声で。
「この話、嘘だから」
「そう」
「大嘘だよ。俺が、嘘って言ってるんだ」
   体験者がそう言うのなら、嘘だろう。
   たった一言で、黒が白になる。
   わたしたちは、まったく違う話題を始めた。ビールと焼肉と、心霊スポットの話を。
   海岸までは、あと少し。
   たぶん、わたしは、蛸の口を食べることなく、この島を去るのだろう。

Photo by nachans, on Flickr
IMGP5670

   信頼できない語り手がいるように、信頼できない聞き手もいる。だから、この話は、ただの物語に過ぎない。わたしは、そう書いておく。

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筆者:前田雄大

怪談団体「クロイ匣(ハコ)」の主宰者。関西を中心として、マイペースに怪談活動を行っている。https://twitter.com/kaidan_night
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