町田市が、本当に神奈川県だった時代...明治に繰り広げられた「多摩領土戦争」とは?

2016年5月 3日 11:00

「多摩」ほぼ全域が神奈川県に!

神奈川と東京の領土変遷は、それすなわち多摩の歴史となる。「万葉集」にも詠まれている多麻(多摩)。平安時代から幕末まで、1000年以上にわたって「武蔵国多摩郡」だったが、明治維新にあわせて分割される。

多摩川(Taichiro Uekiさん撮影、flickrより)
青梅 多摩川

幕末の混乱と廃藩置県にともなって、それまで「多摩郡」とされていた地域は、「韮山県」「品川県」「入間県」などの管轄へ。そして明治5年(1872年)春までに、ほぼ「神奈川県」へ移管される。

移管に先立って、明治4年11月(1871年12月)に神奈川県は、多摩郡が外国人遊歩区域にあたるとし、管轄させるよう求める申立書を出している。遊歩区域とは、外国人が自由に出かけられる場所のことで、港(この場合は横浜)から最大10里(40キロ)の範囲とされていた。

「神奈川県ヨリ外国人遊歩ノ土地ヲ管轄相成度儀ニ付伺」の冒頭部分(国立公文書館デジタルアーカイブより)
「神奈川県ヨリ外国人遊歩ノ土地ヲ管轄相成度儀ニ付伺」の冒頭部分(国立公文書館デジタルアーカイブより)

それからしばらく、北多摩郡と南多摩郡、そして西多摩郡の「三多摩」は、神奈川県として扱われることになる。いまの市域で言うと、町田だけでなく、八王子や立川、武蔵野、三鷹など広範囲にわたる。

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