桃井さんの写真の中の広告から判断するに、これは1997年頃の模様。まだまだ電気の街のイメージが強い時代で、中小の電気店が林立していた時代である。電気街口には広大なバスケットコートがあり、当時の様子をツイッターに投稿する人もいた。
マイ心の中のアキハバラ。 pic.twitter.com/3k3azrz1c9
— じゅんさと (@cosweety) 2019年3月12日
それでもパソコン用品やマニアックなゲームを求めてアキバに集まる趣味人は多くいて、00年代にオタクの街として知名度が急上昇する下地は整っていた。
2000年代に入ると大手の家電量販店が進出し、高層ビルが建てられていく。駅前のバスケットコートは06年に秋葉原クロスフィールドになって姿を消し。00年代初頭から始まったメイドブームでメイドカフェ等が台頭、地下アイドルの街にもなっていく。
00年前後からこうして「その筋のディープなマニアが集う街」から、「オタクカルチャーのショーウィンドー」のような街になっていった。
桃井さんの写真に写っていたアキハバラデパートは06年に閉館してアトレ秋葉原になり、時々ゲームやアニメとのコラボ企画が行われている。観光客が普通に訪れるようになり、昔のアングラな雰囲気を惜しむ声も少なくはない。桃井さんの投稿にもそういった反響が寄せられている。
はじめて秋葉原に行ったのが2010年代に入ってからだったので、桃井さんのラジオを聴いたり本を読んだりして想像していた場所とはかなり違ってしまっていました。
— シャイニングゆーくん@プリパラツアー全通 (@priparahasuki) 2019年3月12日
行ってみたかったなぁ......。
懐かしいですわ...
— もっちー (@mocchi7803) 2019年3月12日
秋葉原デビューが1996年でしたので23年の間にすっかり変わってしまったんだなと感慨深くなりますね。
学生時代を思い出しました。
— ぱーくわーど (@mullineparkward) 2019年3月12日
たいてい金曜の夕方に実演販売を眺めてソフマップやラオックスのザコンに立ち寄りました。
今の世代が数十年後に現代の秋葉原を思い出すとき、未来のアキバはどういう街になっているだろうか。
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