四ツ谷駅は、なぜ「四谷駅」ではないのか? 「ツ」がつく理由を徹底検証

2016年9月11日 11:00

明治時代にも結構ごっちゃ

その後、徐々に発展していった「四谷」だが、実は江戸時代から、「四ツ谷」という表記はよく使われていた。

当時の浮世絵や地図などでも、「四ツ谷」がかなりある。

1864年(元治元年)の「四ツ谷絵図」。表題の欄に「四ツ谷」とある(国会図書館データベースより)
1864年(元治元年)の「四ツ谷絵図」。表題の欄に「四ツ谷」とある(国会図書館データベースより)

「東海道名所之内 四ツ谷」。1863年(文久3年)の浮世絵。当時の四谷の様子もうかがえる(国会図書館データベースより)
「東海道名所之内 四ツ谷」。1863年(文久3年)の浮世絵。当時の四谷の様子もうかがえる(国会図書館データベースより)

その後、明治になってからは1878年(明治11年)に「四谷区」が誕生し、以後「四谷」を使う傾向がだんだん強まっていくのだが、「四ツ谷」も依然強い。

たとえば1875年(明治8年)、この街に初めてできた小学校は「四ツ谷学校」(現在の四谷第一小学校。5年後に「四谷」に)。四谷区誕生直前に作られた素案(下調べ)でも、「四ツ谷区」という名前が使われている。1900年代の東京市(当時)の告示でも、「四ツ谷」という表記が混在していることが確認できる(以上、四谷区史などに引用されている文書を参照)。

実際、『新宿区町名誌』(新宿区教育委員会編、1976年)には、以下のような記載がある。

「『四ッ谷』は江戸時代から明治中ごろまで多く、明治末からは『四谷』が多い」
幕末~明治の浮世絵師・月岡芳年晩年の作品「新形三十六怪撰」より「四ツ谷怪談」(1892年(明治25年))。直接の地名ではないが、「四ツ谷」表記がこのころにも使われていたことがわかる
幕末~明治の浮世絵師・月岡芳年晩年の作品「新形三十六怪撰」より「四ツ谷怪談」(1892年(明治25年))。直接の地名ではないが、「四ツ谷」表記がこのころにも使われていたことがわかる

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