鳥羽・伏見の戦いの「傷跡」が残る、京都・妙教寺
2016.05.22 07:23
[ちちんぷいぷい‐毎日放送]2016年5月12日放送の「昔の人は偉かった」のコーナーで、京都市伏見区にある妙教寺が紹介されていました。1626年、江戸時代初期に創建されたこの寺では、幕末の戦いの傷跡を見ることができます。
1868年、新政府軍(薩摩・長州)と旧幕府軍が衝突した鳥羽・伏見の戦いが起こり、妙教寺付近は戦いの場になりました。その時に発射された大砲が本堂の壁と柱を貫通、反対側の壁に当たり止まったと言います。
住職・松井遠妙さんは「当時の住職が砲弾跡を残すように指示したと聞いています。大砲が貫通した柱は周りを板で補強し、保存されました。弟子が代々受け継いだおかげで、当時の様子を知ることができます」と語りました。
大砲は不発弾だったとのことで、貫通の壁、貫通の柱、傷跡の壁とともに妙教寺に保管されています。江戸末期の混乱の世を静かに語る貴重な証拠を見に、妙教寺を訪れてはいかがでしょうか。桂川と旧京阪国道の間、鳥羽街道の沿いに妙教寺はあります。(ライター:青空繭子)