「看護師の義母にいじめられていた私。家から逃げ出したら、1台のタクシーが私のそばに止まり...」
<Kさんの体験談>
両親が離婚したのは、私が小学校1年生だったときの、夏休みでした。
私と兄は父に引き取られ、その後、父は再婚。新たに弟も出来ました。
夜中に食あたりで嘔吐した私に、義理の母は...
義母は看護師でした。
仕事のストレスからか、私は家族の目の届かない所で義母からいじめられていました。
弟の保育園の送り迎え、ミルクやオムツの取り替えは全部私の仕事。義母に気に入られるように、毎日必死でした。父も兄も見て見ぬ振りでした。
小学校4年生の時、食あたりで夜中に嘔吐した事がありました。
義母に叱られないように冷や汗をかきながら布団から出たのですが、義母に気付かれ、顔に向かって雑巾を投げつけられました。
食あたりに加えて、こんな時にまで誰も自分を助けてくれない事が辛くて、涙を流しながら掃除をしました。
そのまま寝込んでしまい、昼過ぎに目を覚ますと家には誰もいません。
幸い症状も落ち着いていたので、実の母親の所に逃げようと家を出ました。
涙を流しながら歩く私にタクシー運転手が...
なんとなくこの方向だろうという方へ向かい、2時間ほど。夕暮れのなか、寂しさから涙を流しながら歩きました。
すると、道路の反対車線の車がクラクションを鳴らして男の人が声を掛けてきました。私は怖くなり、走って逃げました。
しかし、暫くするとその車が引き返してきて私の傍に停車したのです。よく見るとタクシーでした。
「どぎゃんしたとや!」
運転手に声を掛けられました。
久しぶりに人からかけられた優しい言葉に、気づけば私は「お母さんのところに行きたい」と涙ながらに伝えていました。
運転手のおじさんは「よかけん! 送っていくけん車に乗り!」と言ってくれて、1時間ほど掛けて母と暮らしたアパートの近所まで送ってくれました。
しかし、やっとの思いでアパートにたどり着いたのに、母親は既に引っ越していたのです。
「俺 終わった」と子供ながらに絶望したことを、今でもはっきりと覚えています。
「お母さん、引っ越ししはったもんね」
周りはもう薄暗くなっていて、途方に暮れていたのですが、近所のおばちゃんが私を覚えていて、名前を呼んでくれました。
「お母さんの所に来たとね。お母さん引っ越ししはったもんね」
この言葉にまた涙がこぼれました。
すると、おばさんは「ちょっと待っとってね」と言って、15分ほどその場を離れられました。
そして「年賀状の来とったけん104で電話番号調べたら番号の分かったけん! おばちゃんの家から電話せんね」と迎えに来てくれたのです。
おばさんの家から電話をかけると、母親が出ました!
そして私は無事、母に引き取られることになったのです。
人はひとりでは生きていけない
アパートまで送ってくれた運転手のおじさん、電話番号を調べてくれたおばさん。
あの時、助けてくれた方々が居たから、私は今生きていられると思っています。
本当にありがとうございました。
直接お礼を伝えたくて、結婚後に妻を連れて帰省の折、アパートの近所を探しましたが、お会いすることはできませんでした。
お元気でいらっしゃる事を祈っております。
本当に、人はひとりでは生きていけないと思っています。辛い事もありましたが今は家族仲良く暮らさせていただいております。
人様からの優しさを受けた分、人様の手助けの出来る存在になれればと思っております。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」「あの時はごめんなさい」、聞かせて!
名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな誰かに伝えたい「ありがとう」や「ごめんなさい」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。
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