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83歳筆者、体験から考える「国家」..."この厄介な代物"を思う

ぶらいおん

ぶらいおん

2017.03.21 16:06
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無節操なグローバル化も、極端な反グローバリズムも...

   我々の日常生活に無くては困るものの、かと言って、その在り方や機能的な態様が不適切であると、どうしようも無い困りもの、迷惑千万なもの、そんなものは、何時でも身の回りに、結構転がっているものだが、その最たるものが「国家」という仕組みだ、と人生の終焉を迎えようとしている今、筆者はつくづく、その思いに満たされている。

   ここで、真っ向から「国家」とは何か?「国家」というものは、如何にあるべきか?等という事柄を論ずる気は無い。

   そうでは無くて、筆者が生きて来た時代の初めの頃は「国家」が前面にしゃしゃり出過ぎて居り、今から考えてみても、実際に体感した「国家」乃至「国家主義」は控えめに言っても、「異常」であった、と言わざるを得なかった事実を、ここで述べて置こう、と思う。

   その時代を生きた多くの人々が書き残したり、語ったりしているが、筆者の世代では、個人として、辛うじて、「国家」からの、生命提出の要求を回避し得たのは、単に、そういう風に(つまり、特攻隊に志願したり)せざるを得ない年齢に、筆者が到達する前に、敗戦を迎えた結果、ようやく日本という国が、軍部や政治家たちの独裁的な体制から抜け出せたからに過ぎない。

   豊かな可能性を秘めた若者たちの、掛け替えのない生命が、「お国のために」というスローガンを掲げることにより、実際には単に利用されて、無節操に消耗された過去を、決して忘れてはならない。

   こんな非常識で不条理な話は、敗戦後、一応、民主主義に基づいて国が運営されることとなった、現在の我が国では、絶対に許されないことだ。民主主義と称する以上、如何なる者も憲法の規定には従わねばならぬ、と言う立憲主義の原則が完璧に遵守されることこそ、肝要だ。

   だが、筆者の感覚では、今は、その辺りも何やら怪しい雰囲気が立ち込めているように感ずる。そして、それは、残念ながら、我が国だけの雰囲気では無さそうだ。

   民主主義の伝道師であるかのように、これまで振る舞って来た、彼(か)の国も、憲法の規定をよそに「自国だけ良けりゃぁ、それでいい」という潜在的なエゴを、今や剥き出しにして来た。

   「テロとの戦い」と言うが、歴史を辿れば、その遠因は自らの過去の「問題処理の不適切さ」に在る、と言うことを素直に認めようとはして居ないし、それどころか、それに気付かぬ振りをして、一般大衆の不安を煽り、それを利用して、国家を思うままに誘導しようとしていることが見え見えであると、筆者には感じられるのだが、如何であろうか?

   欧州連合(EU)という仕組み、考え方は、叡智に富んだ人類の理想に至る、現実的な第一歩と期待され、これまで維持、発展して来たが、ここへ来て1973年以来の加盟国英国が離脱を決定したことによって、その影響が、各加盟国内のみならず、多かれ少なかれ、世界中の懸念となっている。

   こうした世界国家の設立に向かおう、という、究極の人類理想のランドマークとも思えるものが、ようやく踏み出したばかりの状態で、どうしてこうも簡単に崩壊してしまうのであろうか?

   詰まるところ、それは人々の、目先の「欲望」のなせる技、と言うことらしい。

   「不確定性」に満ちた、今の世の中で1%の富裕層は、もう、これ以上欲しいものが無いので、お金を使わず、残り99%の一般庶民は収入が増えるどころか、住宅ローンやクレジットカードなどの負債返済のため、生活が益々苦しくなる一方で、その持って行き場の無い怒りや焦りを、差別容易な標的、たとえば具体的には「移民」や「異教徒」や「異人種」、「社会的弱者」などに対し、ぶつける!という構図は起こるべくして起こった社会現象、と言うことらしい。

   その燻(くすぶ)った人々の心は、内側にしか向かわず、「グローバル化」で最もうまい汁を吸い上げた国をして《自らの施策の不適当さによって、もたらされた失敗結果(たとえば、自国産業の空洞化)には目を瞑り》、「衰退した自国を一番に!」すると称する反グローバリズムを掲げ、吠え続けて民衆を煽り立てたポピュリストを、国の新たな指導者に選出する結果をもたらした、と言えるのではないだろうか。

   ところで、大方の経済学者の考え方によると、この「保護主義」は、悪化した現在の「経済的状況」を或る程度、良くするであろう、と言う。

   経済学者では無いので、筆者には、そのメカニズムは分からぬが、その結果、どんな現象が社会に現れるのであろうか?

   一見、話は変わるようなのだが、例によって、録画したNHK BS放送のドキュメンタリー番組を観ていたら、「メキシコ料理」が、「和食」や「中華料理」より前に、世界遺産登録されていた、という話を聞いた。

   それによれば、メキシコ料理こそ、今から3000年くらい前に遡る起源の、食材をふんだんに使用した料理の伝統があり、それらの食材には、ヨーロッパには全く存在しなかったものも少なく無い、という。

   その最たるものが、「トウモロコシ」、そして種類の多さでは、他と比較にならないほど豊富な「唐辛子」の存在だ、そうである。

   余談だが、筆者も、この「唐辛子」や各種香辛料食材には、目が無く、激辛のチリソースやタバスコなどを切らしたことは無い。

   実は、今晩の食事も、激辛のカレールーを使って、豚肉のロース・ブロックからカットした肉塊の他、とんこつ(軟骨部分)を加え、これらをジャガイモ、人参、タマネギと共にスロークッカーに仕込み、5時間掛けて煮込んでいる。

   この原稿が一段落した頃には、軟骨が、どんなに歯の悪い人でも造作なく食べられるほど柔らかくなっている筈だ。

   さて、本題に戻ると、トウモロコシから作られるタコスやトルティーヤは外食で、またコーンスターチやコーンオイルなどは、何かの食品に含まれる成分として、また、バーボン・ウィスキーも無論、筆者には馴染み深い。ただ、メキシコ人のように、食材の王道というわけには行かない。

   日本人である以上、どうしても、米、大麦、小麦が主流となる。

   それはさて置き、ドキュメンタリーの中で紹介されていた農民のトウモロコシ栽培法は、トウモロコシと共に必ず豆を一緒に植え、その豆を利用して、空気中の窒素を固定することによって、そのトウモロコシの養分として供給する、という昔からの、全く農薬を使用しない方法を守り続けていて、その結果、一石二鳥、あるいは一石三鳥とも言える、満足すべき収穫を得ている、という。

   興味深かったのは、スペインによって侵略されるまで、メキシコには豚も牛も存在しなかった、という話で、現在でも、祭りの時だけしか作らないような、手の込んだソースは、野菜と、各種の唐辛子だけを配合し、時間を掛けて煮詰めてようやく完成するそうで、今では肉塊やトルティーヤや野菜などの他の食品を、このソースに付けて食べる、というご馳走があるらしい。

   では、豚や牛のような食肉が存在しなかった時代、タンパク源は何処から得ていたのか?と言えば、それは小魚もあったが、主としてその供給源は昆虫であった、という。

   「エッ、まさか...?」と、顔を顰めたあなた、別に、そんなに驚くほどのことじゃありませんよ。映像の中では、イナゴの例が示されていたが、イナゴなどは筆者の子ども時代(東京)には、佃煮のようにして、食べるのは日本中で、特に珍しいことでも、何でも無かった。地方によっては、今でも蜂の子などを珍重する所がある筈だ。

   これからの時代で、大問題となるであろう地球人口の増加による食糧危機の解決手段の一つ、と考えられているのが、この「昆虫のタンパク源としての利用」であることを聞き及んで居られる方も居るかも知れない。

   この映像を視聴していて、更に筆者の頭に浮かんだのは、次のような想像シーンである。

   それは、どこやらの花札大統領が「国境に壁を築く」と息巻いているのに対し、透徹した考えを有するメキシコの賢人が居れば、彼は、むしろ次のように反応して、微笑みを漏らすのではあるまいか。

   「よくぞ、申して下さった。ご親切にも、これ以上、偉大なアステカ文明が、米国のファストフード文化によって損なわれたり、素朴な歓びを感じながら細やかに生活して来たメキシコの若者たちが、お国でも難儀している"欲望経済"によって、これ以上毒され無いように、わざわざ壁まで築いて下さろうというご配慮には、誠に感謝に堪えない。」と。

   要は、価値観や視点によって、物事は、全く違う様相、つまり、多様な側面を見せることに成る筈である。

   今の米国のみならず、それに追随する諸国の大都会では、必ず見掛ける、典型的なファストフードを、今の段階で、世界遺産に登録しようと提唱する物好きは、幾ら何でも、何処にも居るまい。

   そりゃあ、確かに資本力があるほど、テクノロジーの進歩も顕著で、その結果、人々の暮らしが便利になることは、また否定出来まい。

   しかし、その便利さの利点も、そこに暮らす庶民たちによる、その新製品の購入が一巡してしまうと、それによってもたらされていた、様々な経済的効果も色褪せるばかりで無く、逆にそのプロジェクトに投入されていた借金や膨大な売れ残り在庫が人々の首を絞める結果となる。

   そうなると、人間は元々身勝手であるのが普通だから、給料も上がらず、新規採用はおろか、新しい世界を求めて転職する見通しすら立たないことになり、その結果、その怒りの矛先は、上にも述べたように、メージャーグループに属する自分たちとは、何か異質な、比較的弱い立場の、マイナーグループに属する人々へと向かう、ことになる。

   その状況こそが、現在、世界中の国々が困惑し、その解決に苦慮している「難民問題」となって噴出しているのであろう。

   ただ、ここで問題なのは、生命、財産の危険に脅かされ、自分が生まれ育った国から脱出する以外に「生き残るすべ」が存在しない、真の「難民」と、それに紛れて、少しでも自分たちの生活を良くしよう、と求める「移民」という課題が混在することであろう。

   この矛盾を巧みに利用して、「難民問題」を「移民問題」とすり替えて、自国に関する利害のみに着目し、これによって、多くの自国民を味方に付けようと謀る、ポピュリスト政治家や、過激思想を唱える政治家が現出する流れとなっているのであろうが、そのポピュリズムが国家の行く道を大きく誤らせる原因となる危険性が高いのでは...?

   大いに危惧される所以である。

   或る意味で、国家は「諸刃の剣」と言えよう。次のようなことを記憶されている方も少なく無いであろう。

   それは、今回の、米国大統領選挙戦の最中に、一部の著名映画俳優や歌手、その他アーティストなども居たかも知れないが、彼らは「もし、トランプ大統領が実現するようなら、この国を去る。」と明言し、具体的に移動先としてカナダなどの国名を挙げていた人達も居た、と記憶するが、これについて、選挙結果が出た後、言葉通り、実際に「出国」した、という話を聞いた覚えは無い。

   考えてみれば、古くから歴史上、度々登場するような国々に比べて、比較にならぬほど浅い歴史しか持ち合わせていない国、とは言っても、今、暮らしているアメリカ市民たちにしてみれば、矢張り、自分の先祖が何代か暮らし続けた母国である以上、そう軽々と出て行くことも出来ないというのは無理からぬ話、とも思える。

   また、筆者の居住地に隣接するK市JR駅前に中華料理店、洋食店、ビジネスホテルなどを手広く経営するオーナーで、日本に帰化した、台湾系中国人Sさんから直接聞いた話であるが、日本国籍を有する者としてパスポートを取得したとき、それを開いた第1頁に、日本国外務大臣名で「日本国民である本旅券の所持人を、通路故障無く旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。」と明記されているのを確認して、本当に嬉しく、心から安堵した、という。

   「国家」は、このような役割を果たすものだから、無ければ、そこに住んでいる人たちは、困るに違いない。

   かと言って、「他国民は何が何でも入れない、同じ権利や利益は与えない。」一点張りでは、また、スムーズに行くわけが無い。ましてや、高齢化が著しい国では、若い外国人の働き手を積極的に受け入れない限り、産業も福祉政策もうまく機能しない結果となり、いずれ国として立ちゆかない事態すら懸念されていることを忘れてはなるまい。

   無節操なグローバル化も、極端な反グローバリズムも、安定した世界をもたらすことは無いだろう。

   欲望資本主義を脱し、身の丈に合った共存、共生社会を目指すことこそ、この不確定性の時代を掻い潜り、唯一人類が生き残れる道だ、と考えて居るのだが...、果たしてどんなものか?

   さて、後10日ほどで3月も終わり、4月から新しい年度を迎えることになる。

   そして、ここでお知らせだが、昨年4月から丸1年間に亘り週1回のペースで連載を続けて来た、本コラムも次回を以て終了となる。

   その経緯なども含めて、本コラムに纏わる総括ともなる次回の最終コラム<82-83歳、コラムを連載してみて>(仮題)で、一応お別れとなるので、是非、最終回もお目を通して頂ければ、幸いである。

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筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)

東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になってから、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、105歳(2016年)で天寿を全うした母の老々介護を続けた。今は自身も、日々西方浄土を臨みつつ暮らす後期高齢者。https://twitter.com/buraijoh
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