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83歳筆者が考える「高齢者ドライバー」問題...「自主返納」では問題は解決しない

ぶらいおん

ぶらいおん

2016.11.29 11:00
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高齢者ドライバー、また事故――こうした見出しが、ここしばらくメディアをにぎわせている。2016年10月28日、87歳の男性が運転する軽トラックが小学生の列に突っ込み、男児1人が死亡した事故が、この問題に火を点けた格好だ。自主返納の促進が呼びかけられる一方、「年齢制限」論も飛び出すなど、百家争鳴の感がある。

このコラムの筆者、ぶらいおんさんは83歳。また、現在も日常生活で車を運転しているまさに「高齢者ドライバー」である。失礼を承知で、この問題をどう考えるか尋ねてみたところ――。

「止むを得ず」運転を続ける高齢者たち

   必ずしも意図的では無く、偶々なのか、どうか?その辺のところは定かでは無いが、このところ高齢者の運転する自動車による人身事故が立て続けに(マスコミでもミニコミでも)報道されている。

   たとえば、『12日午後3時ごろ、東京都立川市緑町の国立病院機構災害医療センターの敷地内で、83歳の女性が運転する乗用車が暴走して歩道に突っ込み、30代の男女2人がはねられた。2人はまもなく死亡が確認された。女性は事故直後、「ブレーキを踏んだが止まらなかった」(朝日新聞デジタル)』

『また高齢ドライバーの事故 82歳の車に61歳女性はねられ死亡 東京・小金井』(YAHOO JAPAN ニュース)

   他にもまだまだあるようだから、読者の方々も何処かで、どれかを目にされたことも多いだろう。

   ただ、一般的に注意すべきであるのは、或る対象を取り上げた事件が、何らかの理由で、意図的に集中して報道されることがあり、恰もそれが、その時に発生した、目新しい事件か、事象であるかのような印象を一般庶民に与えるにも拘わらず、実際には、蓄積された、過去の、例えば、何かについての年間発生率などを参照してみると、その年は、むしろ類似の事件が減少していたり、あるいは例年と変わりの無い数値を示しているような場合も決して少なく無い。

   筆者が言いたいのは、自分が高齢者ドライバーだからと言って、何とか、ここで「高齢者ドライバーの事故」を弁護しようと意図しているわけでは無い。

   もっと、大きな観点から物事を観察し、広い視野に立って、その内容を、自分自身で冷徹に判断しないと、戦時中の「翼賛体制*報道」の被害を『あなた自身が蒙りますよ!』という筆者の警告と老婆心からの発言なのである。

   この筆者の見解を裏付ける記事『高齢ドライバーの事故は20代より少ない 意外と知らないデータの真実(市川衛)』- Yahoo!ニュース を見つけた。物事を公正に判断しようと考える方には、是非参照されることをお薦めする。

*(注)「翼賛体制」というのは、狭い意味では、日本の太平洋戦争下における一国一党組織である大政翼賛会を中心に、軍部の方針を無批判に追認し、国民を戦争に総動員した体制のことであり、これについて<翼賛体制構築に抗する声>というサイトがあって、そのページ内に<「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明・宣言」への連名者>という欄があり、不肖筆者もペンネームで連名者の一人として名を連ねている。

   さて、この高齢者ドライバー問題について、本コラム編集者から<自身もドライバーであるとお聞きしたことがあるので、あるいはお答えしづらい部分もあるかとは思いますが、あえてその立場から、運転への年齢の影響や、よくいわれる「年齢制限」論について>、と意見を求められたが、私には、特に答えづらい点は、実際には(現代風なら"マジ"というのかな?)全くない。

   高齢者が増加し、長寿となったから、当然のことながら、高齢者ドライバーも増える。

   一方で、高齢になると、人(他の動物もまた同じ)の身体能力は低下する。自動車の運転にも、それなりの身体能力を要するから、特に車の運転に際して要求されることのある、俊敏な判断、俊敏な動作も当然低下し、必然的に種々のトラブルが発生し、それが今、話題となっている「高齢者ドライバーの深刻事故」に繋がっていることは先ず、間違い無いだろう。

   では、それをどうしたらよいか?

   警視庁は、チラシ配布によって『全国で高齢者のドライバーによる交通事故が相次いでいることを受け、高齢者に対し、運転免許証の自主返納などを呼びかけました。』(TBS News)

   そんなことで、足りるのか?

   筆者の考えは、「そんな姑息な手段を採っても、殆ど成果は無い」と断定したい。

   完全な「解」は『高齢者には運転させない、あるいは、高齢者が運転しなくてよい環境を整備すること』に尽きる。

   それらの事項をもう少し具体的に説明しよう。

   『高齢者には運転させない』という意味の1つ目は、「高齢者が自分で運転する必要が無くなる環境や条件を行政その他が提供する」ことである。

   大方の高齢者からすれば、自家用車の運転を楽しんだり、趣味のためにドライブをしているわけでは無い。

   現在のところ、生活をして行く上での必要上、自家用車を自分で運転するより他に適切な手段が見当たらず、これ以外に選択肢が無いから、「止むを得ず」というのが先ず、実情であることは間違い無い。

   具体的に、関西地方の、或る中都市に生活している筆者自身の例で説明しよう。

   私の住居は、夏は海水浴場となる浜辺にあるが、最寄りの公共交通機関と言えば、私営バスの停留場が徒歩10分弱の所にある。ところが、この停留所を経由して運行されているバスには、市内中心部を通ってJR駅へ行く路線と、同じように、市内中心部を通り、JRとは離れた場所にある私鉄駅へ向かう路線の2系統だけしか運行されておらず、その上、各方面行きのバスは夫々1時間に1本の割合でしか運行されていない。

   従って、駅や市内中心部の市役所や県庁、あるいは銀行等の用足しには、運行時間表に不便はあるものの、これでなんとかしようと思えば、出来無いことはない。但し、バスの最終時間は上り、下りとも大体19時台だから、幾ら高齢者でも、筆者のような元東京人にとっては、余りにも不自然で、使い勝手がよい、とは到底言い難い。

   更に、問題なのは食料品や日常消耗品を調達するために、実際に筆者が利用しているスーパーの類は、殆どバス路線とは一致しない方角にある。江戸時代なら、いざ知らず、それで無くても足腰の衰えた高齢者が徒歩で買い物に行くわけには行かず、ましてや、まとめ買いした品物をどうやって運搬したらよい、というのか?想像してみて欲しい。

   筆者の場合は、老々介護で、病院の介護病棟に入院していた105歳の母を毎週1回は定期的に見舞い、その際同時に、同じ病院でリハビリ治療を受けていた家人を同乗させて、自家用車を筆者自身で運転して自宅から通い、その帰り道には、スーパーに立ち寄って食料品や日常消耗品を仕入れることを習慣として、本年11月初めに母が亡くなるまで続けて来た。

   買い物も老人ばかりの年金生活なので、出来るだけ経済的な買い物が出来るように、回り道しても業務スーパーなど、成るべく安価な商品が購入可能な店を選んで、立ち寄り、まとめ買いするように工夫したりしている。

   従って、こんな芸当は、現在当地で運行されている公共交通機関路線のみの利用では到底実現不可能である。

   多少の変形はあったとしても、似たようなパターンの高齢者も少なく無い、と想像される。

   このような高齢者ドライバーを、事実上運転させないようにするためには、そういった高齢者の必要性を満たす対策、たとえば費用の負担や他者への負担を気兼ねせねばならぬような方法や手段では無い、行政や公的機関あるいはNPOなどによる十分なサービスの提供が不可欠であろう。

   直ちに実現可能か、否かを問うこと無く、具体的な例を挙げるなら、高齢者の必要に応じ24時間対応可能な無料乃至限りなくそれに近い費用で利用出来るタクシーや、コミュニティ・バスのような乗物、場合によれば、運転サービスを提供するボランティア活動による(多数個所で乗り捨て可能な)カーシェアリングのような仕組み、そんなサービスが提供され、高齢者のテンポに合わせた、時間の掛かる買い物などにもトラブル無く対応してくれる仕組みが提供されるなら、筆者も躊躇無く、免許証を直ちに自主返納したくなることだろう。

   次に、『高齢者には運転させない』という意味の2つ目は、「高齢者が自身で運転する必要をなくす」ことである。

   つまり、自動車の自動運転テクノロジーも、現在、可成りのところまで進んでいるわけだから、これを一刻も早く完成、実用化させ、早急に具体的な運用を図るべきだ。特に、我が国のように、規制を掛け過ぎて、一般道路や高速道路における車両の自動運転の実証実験に関して、余りにも慎重姿勢を取り過ぎることは、現実の要請(頻発する高齢者ドライバーによる重大な人身事故の回避)にそぐわない。

   決して、拙速による不完全テクノロジーを求めるものでは無いが、人類の叡智を精確な自動運転テクノロジーに実現させることで、『高齢者自身が運転しなくてもよい』状況を必ず達成し、提供することが可能となるはずだ。

   こうした積極的な解決方法を採ることこそ、『高齢者ドライバーの運転』を、事実上なくすために、最も望ましい解決方法であって、消極的な『免許自主返納』や、『免許年齢制限』などでは実質的な成果は得られないであろう。まして、後者に至っては「人権制限」という新たな問題を派生させる恐れもある。

   積極的解決方法の可及的早急な、実効性のある実現によって頭書の問題が解決されることを、筆者は切に望むものであるが、一方で、それが実現されるまでの間は、(自分も含め)高齢者ドライバー自身が、より慎重な運転を心懸けるために最大の努力をすることは無論だが、教習所における高齢者免許更新講習に際しても、一層徹底した検査やドライブ実習の実施を受け入れることに吝かでは無い。

   要は、高齢者の普通の生活に支障を来すこと無く、忌まわしい『高齢者ドライバーによる重大な人身事故』の解消を「一億一心」で実現させればよい、ということに尽きよう。

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筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)

東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になってから、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、105歳(2016年)で天寿を全うした母の老々介護を続けた。今は自身も、日々西方浄土を臨みつつ暮らす後期高齢者。https://twitter.com/buraijoh
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