真夜中のホテルで、結婚式を見た話【ささや怪談】
怖かった話はいろいろあるけど、仙台のホテルの話はどう?
そう言って、Sさんは人懐っこい微笑みを浮かべた。
Sさんは、アンティーク時計の修繕を生業としている職人だ。わたしは、よく彼から、京都やヨーロッパを舞台にした怪談を頂いている。
どの話も、こちらがゲッソリするほど怖いものばかりだ。
(そういった怪談はすべて、イベント用にストックしている)
「どんな話ですか?」
わたしは、今日も彼のアトリエを訪れて、怪談をせびりに来ていた。
そのホテルは、いまはもう無い。
「たしか、21世紀に入るか入らなかったぐらいの頃にね。仕事で仙台に来たんですよ。近所のバーで飲んで、ホテルに帰ってぐっすり寝てたらね」
ふと、目が覚めたのだという。
「虫の知らせっていうのかな。胸騒ぎがして」
すぐに、パジャマのままで、エレベーターに乗った。
「一階の自販機で、コーヒーを買って帰ろうかなって思ったんですよ。なんとなく、1階のロビーに行きたくなって」
ドアが開くと、鈴なりに人々が集っていた。
「まるで結婚式でしたよ。真夜中なのに、正装した人たちがいたんですよ」
ウェディング・ドレスに身を包んだ女性と、タキシードを纏った男性を中心にして、礼服を着た老若男女が、輪になっていたのだ。その数は、30人ほどだった。
「ちゃんとロビーに電気がついていて、まるで昼間のようなんですよ。私が朝まで寝ぼけてたのかなって、その時は思いました」
人々は、口々に何かを話していた。しかし、会話の内容までは聞き取れなかった。
これから、どこかに出発するようだったという。何かを待ちわびたような雰囲気が、強く漂っていた。大勢の人々が、華やいだ雰囲気を身に纏っていた。しかし、誰一人として、Sさんには気が付いていないようだった。まるで、目には見えていないように。
「でも、真夜中だったんですよね?」
わたしは、そう訊き返した。
「ええ。2時過ぎでした」
その時、Sさんは、こう思ったのだという。
「私ね、仲間外れな気がしたんです。ここに入ってきちゃいけない、この輪に入ってはいけない。来る時を間違えたんだって......。急にね、寂しくて、恥ずかしくなりました」
彼は、ただただ、立ち尽くしているばかりだった。
すると、ロビーにある柱時計が、鐘を3つ、鋭く打ち鳴らした。
「その時、部屋に戻らなきゃって思ったんです。それで、急いでコーヒーを買って、自分の部屋に戻りました。いま思うと、みっともない恰好だったでしょうね」
彼は、コーヒーを飲んで、すぐに眠りについた。翌日、フロントに尋ねてみたが、思っていたような答えは返ってこなかった。
ロビーで買ったコーヒーの缶は、ちゃんと捨てた。
それっきりのことだった。
「ところで、ロビーにいた人たちは、幽霊に見えましたか?」
「あれは人間でしたよ。間違いなく」
「話しかけてみようとは、思わなかったんですか?」
「いやあ、東北にはそういう風習があるんだなと思ったんです。それか、私が寝ぼけて時間を間違えたか、どっちかだなと」
「ついうっかり、地元に伝わる真夜中の結婚式に出くわした。そういうふうに、合理的な説明も出来ますよ。どんな幽霊でも、一応の解釈や説明は付けられますからね」
わたしは、それとなく、心にもないことを言ってみた。そうすることで、彼が、この話における真実のようなものを教えてくれる気がしたからだ。
Sさんは、穏やかな微笑みを浮かべて、こう返した。
「そうだとしたら、なぜ私は、こんな他愛も無い話を15年もずっと、忘れられなかったんでしょうね」
「それもまた、不思議なことですね......」
わたしたちは、アトリエのアンティーク時計の歯車の音に、耳を澄ませた。